あの頃、自分はただひとりの小世界を必死で守っていた。
目を塞いで耳を塞いだ。
愛すまいと思っていた。











その大きな身体にしがみ付く様に抱きつきながら、明日からこの男に抱かれるであろう人物の事を 自分の頭はぼんやりと考えていた。あの山崎の黒い髪に触れながら土方さんが欲情するのか、などと 思っても、自分が虚しく感じる事はもう殆どなかった。最果てを見たのは、つまりは考えを閉じ込める 方法を得たという事なのかもしれない。しかし、それはいたって平和だった。平和で穏やかであった。
土方さんは腕を解いて言った。
「俺はずっとこの髪を愛していた。その目も、声も。意味もなく白い肌も、矛盾したお前の、 感情でさえも。」
愛していたよ、と小さく恥かしそうに土方さんは言う。言うなれば自分はその一言で全てを満たされた のだ。その一言を受け入れることで、この先誰がこの男に抱かれようと、誰がこの男を殺そうと、ただ 自分が再び彼の隣に立つ時を待つ事が出来る。そんな自分の安さに、少し笑いそうにはなるけれど。
「俺は愛せないでいましたぜ。それすらも貴方は愛するの。」
「総悟、完璧な人間なんてどこにもいやしないんだよ。」
「それは…。」
それは、確かに、その通りだった。前に近藤さんに説かれても難解であった理論は、今ではすんなり と受け入れられる。自分を取り囲む霧が晴れてそれが自分にも当て嵌まる事だと実感した瞬間、盲目の 世界から解放たれたような気分になった。しかし真実の見える世界で自分の欠陥点が人間が誰しも 持つ愛という能力であったという事実は自分に重みを与えるばかりだった。自分に流れる天人の血が 能力を制御しているのかもしれないと、恨みに思った事もあった。
「お前は結局最後まで俺を真っ直ぐ見ねェんだな。」
「…勘弁して下せェ。」
「素直に愛を信じれば良いものを。」
「それが出来ないのが俺の性でさァ。」
結果論からすれば自分は負けたのだ。所詮は役者である自分に新展開を切り開く力など無かった。 面と向かってこの男を愛することは出来なかった。両親の死が、それを許しはしなかった。 しかし自分は限りなく近付いた。この男の一番近い場所に、今自分がいるという自信が胸の奥から 溢れ出て来る。これならもう大丈夫だと思った。いつ幕が降りようとも、この男の隣で拍手喝采を 浴びるのは他でも無い沖田総悟なのだ、と。























目を開けるとそこは眩しい世界だった。長い事眠り続けた眠姫の目覚めの瞬間に、それは似ていたの かもしれない。眩しい光はやがて細くなると僅かに開いた襖から差し込む光となった。周りの環境も 段々と輪郭をしっかりと持ち始め、それが夕べ土方さんと過ごした部屋である事を判らせる。畳に 頬をつけたまま、視線だけを動かす。土方さんの姿は最早そこにはなかった。朝が来たのだと思った。
「沖田さん。沖田さん。」
山崎の静かで柔らかな声だけが頭の上から聞こえる。視線も体勢も変える事無く寝転がったまま返答を する。
「…何。」
「俺、今日副長と一緒に蝦夷へ行きます。」
「ああ。」
「副長の事は心配しないで下さい。俺が命をかけて守りますから。」
「…山崎ィ。」
「はい。」
「…馬ぁ鹿。」
山崎は素直じゃないなぁ、と言うと立ち上がった。しかしもうその声に自分を嫌悪するようなそんな 要素は含まれていなかった。何かに引かれるようにして立ち去ろうとする山崎の方へ寝返りを打つ。 そこには幹部の証しである黒のロングコートを着込んだ山崎の背が広がっていた。それはこの 男がこれからは自分の代わりに隊長と呼ばれるのであろう事を示唆する。けれど自分はもうそれすらも 悔しく感じる事はなかった。全てを許して舞台を降りようと、こうまでも自分が寛大な人間になるとは 思ってもみなかった。山崎が襖をゆっくりと開け、朝の光は滑るように部屋の中へと差し込んで来る。 眩しさに目を細めていると、山崎は背を向けたまま言った。
「今日は暑くなりそうですよ。」
そして黙って縁側を足早に歩いて行く。土方さんの方へ、自分とは違う強い足取りで。 ギシギシと廊下を立ち去る音。朝を称える小鳥の鳴き声。遠くに聞こえる隊士達の外稽古の掛け声。 全てが眩しく光る世界ならば、それは確かに舞台の上の事なのだと思った。そして、もう自分は 舞台下からそれを見上げる敗者なのだという事も判った。
朝の光が眩しい。目が開けていられない程、それは強さを増していく。或いはそれは自分の ラストシーンを惜しんでのスポットライトだったのかもしれない。聞こえて来る様々な音を聞きながら 完全に目を閉じる。そこには心地好い闇が広がっていた。























目を閉じたまま、闇の中で求めたのは土方さんの温もりだった。
日に透けるように細い指が、ゆっくりと畳をなぞる。
しかし、もうそこには何も残っていない。
そしてその事に気付いた細い指が動く事も、もう暫くは無かった。



















Bis  ... end













さがる








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