最初に他者が自分を受け入れてくれたと記憶しているのは他の誰でもない。
近藤さんだった。
その居心地の良さに、自分は何を求めていたのだろう。











「…で、お前も殴り返されたのか。」
「『隊長、すみません!』とか言いながら…山崎の奴、ジミーの癖に。」
ぶつぶつと近藤さんに不満をぶちまけながらその日の午前はゆっくりと過ぎて行った。 昨日とは打って変わって快晴の空はまるで自分を嘲笑っているようでどうにも腹立たしい。 近藤さんは静かに笑って、読んでいた本をぱたりと閉じた。この一年で近藤さんは随分と落ちついた 男になった。かつてあのチャイナ娘の所のお妙とかいう暴力的な女を追い駆け回していた日々が 嘘のようだ。立派な男はこうも変わる。そういう所に自分は憧れを持っているのかもしれない。 近藤さんは此方へ向き直ると優しい目をしながら静かに話し初めた。
「総悟は、大きくなったな…。」
「そうですかィ?嫉妬で監察方を殴るような男が?」
「いや、完全な人間なんてどこにもいやしないさ。」
「…。」
近藤さんは自分にとって姉と同じ、親のような存在だった。今まで妄信的に彼の全てが正しいと信じ続 けてきた。だからだろうか。人は皆不完全だと説かれても、いまいち実感が涌かない。 近藤さんは立ち上がると、縁側に出てふと思い付いたように言った。
「体の調子は良いのか。」
多分、ずっとそれを聞きたかったのだろう。 空を眺めたままの近藤さんは自分に背を向けていてどんな表情をしているのか判らなかった。 自分は自分で小さく体を丸めたまま近藤さんを見ようとはしていなかったけれど。答えないでいるのも 悪い気がして、取り敢えず口を開いた。
「まあ、最近は。…あんまり血も吐かなくなりましたぜィ。」
嘘だと見抜いたのか否か近藤さんは無反応で判らない。かつて妙という女を菩薩のようだと評した男は 今は自分がまるで全てを悟ったような菩薩になっているのに気付かないのだろうか。近藤さんは ゆっくり振り返ると自分の前に座って優しく微笑みかけた。
「総悟は残るんだな。」
「残りますぜ。」
「寂しいな。」
「…仕方、無いから。」
近藤さんの前ではもう涙は出なかった。自分は近藤さんの前では唯一何物にも気を捕われず喋る事が 出来た。安心というのはこういう事を言うのだと思う。詰まらない不幸自慢も、しないで済んだ。
「血を吐く時、痛いのか。」
「痛いっていうより、辛い。自分が結核なんだと思い知らされる感じでさァ。」
「そうか…。」
そして、近藤さんは目を閉じるともう何も言わなくなった。庭に立つ大きな木が白い花をぽとりぽとり と花ごと落としている。地面に落ちた白い染みは、まるで雪が積もって行くように白く美しかった。 その庭は近藤さんが丹精込めて作り上げた庭だった。その庭を置いて発つのは、やはり辛いもの だろうか。そんな事を考えると、皆がいなくなった後の事がリアルに想像出来て嫌な気持ちになる。
「あとはもう、朽ちるだけなんですねィ…。」
庭が先か自分が先か。競うつもりなんて毛頭無い。ただ、なんとなく自分が先のような気がした。 いや、先であって欲しかった。先でなければ寂しかった。おそらく近藤さんが愛した庭ひとつ守る事も 出来ないであろう自分が、情けなくてたまらないのだ。逃げでも良い。綺麗な時に終わらせたかった。







午後は気分がいつも以上に良くて、平隊士達の様子見に外へ出た。外とは言っても屯所の敷地内では あるのだけれど。自分の知らない間に大広間は変わった。大広間は攘夷戦争で負傷した兵達の病室 になっていた。自分の知らない間に近藤さんの公務部屋は変わった。公務部屋は医療班室になっていた 。かつて共に剣を振るった一番隊の平隊士がご丁寧に説明をしてくれた。負傷者の数は相当なもの らしい。そろそろ屯所では抱え切れなくなるので、おそらく寺の広間等を開け放つのだろうと 平隊士は寂しそうに言った。山崎は医療班の班長として忙しなく動き回っている。多分もう、土方さん の傍にいる事も少なくなったに違いない。それでも、それらは全て自分にとっては夢か空想の 中の出来事でしかないように思われた。自分はもう半分死にかけているのだ。茫然と忙しなく動き回る 隊士達を眺めていると、近藤さんが心配するように声をかけてきた。
「総悟、平気か?」
「気分は良いから。」
「気分は良くても外の風に当たるのは良くない。安静にしていないと。」
「ねえ…、近藤さん。」
「うん?」
近藤さんは上着を脱ぐとそっと自分の肩にそれを掛けてくれた。暖かい。温もりが全身を駆け巡って、 それと同時に自分がいかに低い体温をしていたのかが判る。そうだ、死にかけている。自分は確実に 速度を増しながら死へと向かっている。
「俺、終わっちまうんですねィ。」
「…。」
「終わる為に生きてたのかな。」
「…。」
「ねえ、近藤さん。」
「何だ。」
見上げると近藤さんの表情は歪んでいた。自分はそれを見ても、もう何も思わなかった。
「…土方さんと、一緒にいきたい。」
「総悟。」
言葉を遮る様に、近藤さんの声がした。首を振って、宥めるように自分の手を握ってくれる。 その大きな手で。強く柔らかな手で。その温かさも、自分にはもう届かないというのに。 何時の間にか近藤さんとの間にも溝が出来ていた。 一体どれだけ自分と皆の間には隔たりが出来たのだろう。もう、探る気にもなれない。











何も望んでいないと言えば嘘になった。
けれど自分にひとつでも譲れないものがあるかと言えばそれも違った。
ただ最後まで舞台に立っていられない自分の足を、憎らしく感じるだけだった。










さがる  →→→04








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