恨まなくてはいけなかった。
憎まなくてはいけなかった。
ただ脚本の通り演じなくてはと思った。











攘夷戦争が始まって暫くすると、情勢が益々不利になってくるのが判った。怪我人の数も怪我の酷さも 日増しに悪化している。屯所にいると色々と衛生上良くないから、と近藤さんは移住を勧めたけれど そうする気にもなれなくて結局自分は屯所にいる。
「もー沖田さん、医務室は遊び場所じゃないんですから。」
山崎に小言を言われながらも、気づけば自分は一日のほとんどをこの医務室で過ごす様になっていた。 体重は今よりずっと健康だった時に比べて十キロは落ちた。筋肉も脂肪も無くなって、 腕は何時の間にか剣を振るう事を忘れてしまったようだ。土方さんとはもう随分会っていない。 きっとこんな自分を見たらもう抱く気にはならないだろう。
山崎が手を伸ばしてきたかと思うと自分の座っている椅子の目の前の引き出しの中から何やら書類を 取り出す。そして少し迷惑そうな目をして言った。
「こんな所にいないで土方さんの所へ行けば良いじゃないですか。」
山崎は相も変わらず自分と土方さんが円満な関係を築いている様に勘違いしているのだ。事実、 自分は土方さんのセクサロイドではあったが、その間に愛があったかと言えばそれは判らない。 土方さんのは、愛と言うよりもむしろ同情であったのだ。だから、自分も決して本気にはなるまいと 決めた。土方さんの同情を利用して手にいれる愛は自分を満たさないと判っているから。それでも あの人に抱かれる夜ほど幸せな瞬間は無いと感じる事があった。
「ちょっと聞いてるんですか、沖田さん?」
「うん、まあな。それよりしっかり仕事しろよィ。」
失礼だなー、とぶつぶつ言いながら山崎は再びその視線を書類の山に落とす。そしてまた忙しそうに ペンを走らせ始めた。季節はゆっくり夏の輪郭を見せ始めた頃だった。日差しも心なしか強く、 今の自分にとっては辛い季節だ。隊士達の間ではそのきっちりした制服に汗を流す者もいる。 昔自分が袖を破いた制服を夏服などとふざけてはしゃいでいた頃が妙に懐かしく感じられた。
「沖田さん〜本当にこんな所に居ちゃ駄目ですってば。遊び相手なら土方さんにして貰って下さいよ。 」
山崎はペンを置くと、書類の束をとんとんと机の上で軽く揃えた。土方さん土方さん。それは間接的 ではあるにせよ、自分が山崎に植え付けた口癖である気がする。
「土方さん、土方さんって…そんなに土方さんが好きかィ。」
「え、」
一瞬山崎はどもった。動揺が腕を伝って折角揃えた無数の紙をばさばさと床に散らせる。山崎は また、あ、と声を上げてそれを必死に拾い始めた。
「嫌だな。…そんな訳ないじゃ無いですか。大体土方さんは沖田さんの。」
沖田さんの、何と言うつもりだったのだろうか。山崎は書類を全て拾い終わるとまた机に向かってしま った。自分に背を向けるようにして、まるで必死で本心を隠そうとするかのように。
「山崎。」
呼んでも返事ひとつ無かった。震える肩が山崎の涙を表している。そんな風に泣く山崎が、自分はほん の少し羨ましかった。たったひとり、好きな人であるという理由だけでこうも感情の波を揺らす 事の出来るこの男は多分自分とは違う優しい育て方をされたのだろう。そんな風に感じさせるのは、 或いは自分の死期が迫る事によるのかもしれないが。
「そんな風に泣く事でもねェんだけどな。」
山崎が振り向いた。目に涙をためて、人を睨みつけるように。
「俺が死ねば土方さんはアンタのモンだろ。」
我ながら自虐的な言葉だ。しかし、事実でもある気がした。
「アンタのって…そんな物みたいに言わないで下さい!」
「だって本当の事でィ。」
「嘘だ。」
「どうして。」
「仮に副長が俺を抱いたって副長がその時思うのは沖田さんの事だけです…!」
山崎がこうも喋るのは珍しいなと思った。山崎はいつもこの問題に目を向けずに逃げて来た。 そして自分は、いつも山崎を急かすようにわざとこの話を持ちかけてきた。それは上辺でしかない事実 を並べる事で、山崎への牽制を取りたかった自分の幼い心の現れであった。本当は、この問題に正面か ら対峙する勇気も無い癖に。だから、こうも山崎が応答してくると話がどんどん進みそうで怖いのだ。 それでも山崎は続けた。決着を、着けようとしているのかもしれない。
「沖田さんはいつもいつも俺を馬鹿にするけれど、俺だってただぼんやりしている訳じゃない。」
山崎の目の色が変わった気がした。形勢逆転。今までは決して無かった。山崎が自分を攻め立てようと するのが判る。
「知っているんです。」
どきりと心臓が脈打つ。山崎は少しも動かないのに、重く自分に覆い被さるような威圧感を 与えて来る。
「何、を。」
喉をついて出た声はそれだけだった。山崎は、切り札を出した。
「貴方が天人との混血だと言う事…。純粋な江戸の人間と偽るのに、その髪の色は説得力が無さ 過ぎますよ。」











近藤さんの庭はまだ綺麗であった。とはいえ、戦火は拡大しているのだからここから近藤さんが去るの も時間の問題だ。皆がいなくなっても、出来得る限りこの綺麗な庭を守りたいと純粋に感じる。 寝たきりになりたくない。秋に庭の落ち葉の上も歩けないのはきっと苦しいだろうから。
「総悟、今月いっぱいだ。来月に俺達は北へ向かうよ。」
静かに近藤さんはそう話した。自分と近藤さん、二人しかいないその部屋は以前より物が減って 更に広く感じられる。自分はごろりと寝転がって、庭の大きな木を見ていた。
「庭を頼むよ。また戻って来た時に変わってしまわないように。」
「…。近藤さん、あのね。」
「ん?」
「俺もっとこの庭に白い花を咲かせたいんでさァ。」
「何故。」
「土方さんが俺の両親を殺った時、近くに咲いていたんですぜ。それはもう綺麗に。」
「総悟っ、お前…!」
背を向けていても近藤さんがこっちを見るのが判った。今更な話題に驚いたのだろうか。 しかし事実だ。事実、十年前に土方さんは両親を自分の目の前で殺したのだ。当時はまだ天人と人間 の間の婚姻は許されていなかった。それ故の悲劇だった。
「山崎は知ってましたぜ。一度も話した事なんかなかったのに。」
そう言って目を瞑る。自分は言い返せなかった。山崎の切り札に、負けた。土方さんはもう、誰の ものでもなくなってしまった。山崎のものでも、自分のものでもない。
「近藤さん、俺はね、やっぱり土方さんが憎い。本当に憎い。目の前で両親を殺した人を 許したり出来る人間なんてそうそう居ませんぜ。」
近藤さんは何も言わない。静かに風が流れて、庭の木の枝に鳥が留まってはまたどこかへと 飛んでいった。
「憎んで憎んで…それでもあの人は俺を遠ざけようとしなかった。近くに置いた。だから、俺は 思ったんです。」
何と、と近藤さんは言った。一瞬躊躇う。自分でも言葉にするのは初めてだった。
「許されたいと。」
「誰に。」
「自分に…。両親を殺した男を愛する事を、許されたかった。」
過去形なのは多分もう届かないから。土方さんを恨み続けるように続く人生の脚本を、結局 自分は最期まで演じ切ってしまうのだろう。











舞台を降りる時、下手に残る思い出は要らなかった。
ただあの人の隣が欲しい。
あの人の隣でカーテンコールを迎えられれば、柵を捨ててその一瞬だけは心の底から愛することが 出来るから。










さがる  →→→05








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