雨が嫌いなのはあの体に纏わり付く湿気が苦手であった訳で
決して両親の死を思い出すからではない。
そう思い込んで生きてきた。











昔、雨が嫌いだという話を山崎にしたら猫のようだと言われた事がある。しつこい他人を嫌う癖に 過干渉しない人へは懐く。その通りだと思ってあの時は笑ってしまった。自分は、いかに育ちの悪い 野良猫であろうと土方さんに懐いていたかったのだ。
「あの日は雨が降ってた。土方さんの剣はそれはもう見事だったんですぜ。」
綺麗に宙に円を描くようにして白い刃が赤い色を捌いていったのを覚えている。両親は暫く息をして いたが、師走の雨に打たれてやがて事切れた。土方さんと自分の間にはふたつの動かない亡骸が 転がっていた。自分も土方さんも動くことなく互いを見ていた。多分、あの時土方さんの目には雨に 震える小さな野良猫が映っていたのだろう。
「それから近藤さん、貴方が駆けて来て俺を温かく包んでくれた。」
「俺には一瞬で状況が飲み込めたよ。あの時抱き上げたお前は瞬きもせずにトシを見ていたから。 多分、トシヘの憎悪が込み上げていたんだろう。」
「さあ…今となっては判りませんぜ。」
判らないけれど、多分、そうなのだ。その憎悪こそ自分がいつまでも土方さんを心から欲せずにいた 原因なのだ。あの時自分を抱き上げたのが近藤さんで無く土方さんであれば、自分は間違い無く爪を 立てていただろう。そう、まるで猫のように。近藤さんは暫く庭の方を見ていて、しかし、 その目は虚ろだった。疲れているのだなと直感的に感じる。近藤さんははあ、とひとつ溜め息をつくと こちらに向き直って言った。
「総悟。トシに会っておいで。今夜はあいつの江戸で迎える最後の夜だから。」
やっぱりそう言うのだなと思った。











土方さんは角屋で行われている宴会の真ん中にいた。優しそうな笑顔を浮かべる女中に部屋を案内 される。襖を開けると宴会は既に無礼講の横行する渾沌とした場所になっていた。あちら此方で 酒を浴びる様に呑む者、瓶がぶつかって鳴り合う音。その、真ん中に彼はいた。
不意に登場した自分を見て隊士達は一瞬気を取られたようだったが、またざわざわと騒ぎ出した。 多分、今はもう剣客としての才能を落ちぶらせてしまった自分になど誰も興味を示さないのだろう。 自分は隊の費用を使って生き長らえているだけの疫病神のような者なのだから。
つかつかと土方さんの元へ足を進める。土方さんは目を少し細めて俺を見た。
「ふたりだけで話、させて下せェ。」
土方さんは何も言わずに自分から視線を逸らす。そして吸っていた煙草の火を揉み消すと、 しんどそうに立ち上がった。自分にはもう土方さんの奥に潜む感情が測れなくなってしまった。 その不機嫌そうな目を見てもその下に流れる感情が掴めない。自分と久しぶりに顔を合わせる事が この人にとって嬉々たる事なのか、否か。否定されると泣きたくなるほど悲しくなりそうだ。
土方さんは見上げるほど大きかった。自分が小さくなったせいでもあるかもしれないが、 平隊士達が恐れるのが少し判る気がする。手を引かれて廊下へ出ると、土方さんはそのまま 隣の棟まで自分を連れて歩いた。土方さんの手は熱い。宴会の騒ぎが遠くに聞こえる部屋まで来ると 土方さんは自分を誘い入れるように襖を開けた。態々キープしてあった部屋なのか、はたまた隊内で 取っておいた部屋なのかは判らなかったが部屋は八畳間の殺風景な空間だった。奥まで入って 畳の上に膝を折る。土方さんもその前に座ると、そっと引き寄せる様にして自分を腕の中に包んだ。 温かい。もう随分と触れていなかったのだなと実感する。前は嫌いだった煙草の匂いも今は懐かしく 感じられた。そろそろと背中に手を回す。前はしっかりとその存在を確かめるように抱き締められた筈 の背中は、何時の間にか一段と大きく広くなったようだ。
「痩せたな。」
「土方さんこそ、今頃成長期かよ。」
ククク、と土方さんがいやらしく笑う。その笑い声を聞いて自分はほっとしていた。昔のような 雰囲気が二人の間に流れ始めたからだ。
「近藤さんが『今夜はあいつの江戸で迎える最後の夜だ』って。蝦夷へ行くのは来月じゃ なかったんですかィ?」
「俺は副長だからな。向こうに榎本とかいう仏蘭西に留学していた奴がいるんだ。そいつと色々 相談があるんだよ。」
ふぅんと返事をして自分は土方さんの胸に顔を押しつけた。煙草と土方さんの匂いに埋もれてしまい たかった。こういう時、いつだって土方さんは性急に自分を抱こうと押し倒して来たものだが、 まるで方法を忘れたかのように土方さんは大人しかった。自分達は抱き合う事を忘れてしまったの かもしれない。あの熱い夜は雨に溶けて沈んだ。そう思うと無性に悲しい。
「…もう、帰ってはこれないんですかィ。」
「判らん。」
土方さんの返事は短い。心なしか自分の背中に回された腕に力がこもる。
「本当に蝦夷に国を作るつもりで?」
「ああ。」
「俺も住んで良いんですかィ。」
「ああ。」
「そしたらまた、俺を抱く?」
「…お前が望むのなら。」
そう、と力無く返事をした。ただ純粋に嬉しかった。それは長い長い道程の果てだった。 自分はついに最果てを見たのだ。そうして、もうこれ以上何も進まないのだと、心の中で 悟った。











ただずっと自分の中でそれが許される時を待っていた。
逝く前に貴方を愛する俺を許して。
静かにこの時の俺を愛して。










さがる  →→→06








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